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ユナ

Author:ユナ
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子供たち♪


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行ってないけどね。(笑)

16日、17日と2日間、東北のお祭りが集う『東北六魂祭』

酷い混雑だったようです。

うちのパパと息子2人で、お祭り目的ではなく、街中へ行ったんです。車で。
パレードが17時からの予定でした。
そうしたら、もうすごい人人人

デパート内にいたんだけど、ものすごい人混みで建物から出るのも難しいって電話が
結局車も出られるはずがなく、地下鉄も地下から外の道路まで並んでいて断念。
現場から相当歩いてやっとタクシー見つけて、車は駐車場に置きっぱで帰って来ました
子供たち足にマメ作っちゃって

結局パレードは中止になったみたいですね。
熱中症も多数出たみたいだし。
昨日はまだ30度前後で風もあったけど、今日は朝からすでに30度越えてるしひどい暑さ
大丈夫か

朝パパが車を取りにいったけど、10時前ですでに熱中症で救急搬送されてる人がいたみたいです
その時知り合いの人と会ったらしく話を聞くと、昨日のお祭りで17時に奥さんと待ち合わせして、会えたのが19時だったって

今日はさすがにエアコンつけてます。
28度が超涼しい

そしてショックなことが1つ…
TSUTAYAで100円レンタルしたDVD 2本。今朝9時まで返却だったのに…
忘れた
気付いたの8時58分
延長1本300円だったかな。
結局400円で借りたことになっちゃったよ。
ショック
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今でもたま~に、ポポポポ~ンのCMを見ることがあります。
当時はあんなにしつこいと思っていたのに、なんだか懐かしいような気持ちにもなり、大変だったことを思い出します。
今でも余震が続いていて、やっぱり揺れる度に怖くなります。

震災時、孤立状態になった仙台港のアウトレットは先月末に再開しました。
でもまだ補修工事中のところも多いです。
うちの近所のスーパーもまだ再開しません。不便
営業しているお店の中でも、天井が一部剥がれたままっていう所も少なくありません。
危ない


思い出す震災当日。
当時は妊娠8ヵ月。
歩けないほどの強い揺れ。長い!
外へ避難すると薄暗い曇り空で、MAXの揺れが治まっても次々とまた、ゴゴゴゴ!!というものすごい地鳴りとともに揺れが来る。数秒、数分おきにこんな状態なので、揺れっぱなしと言っても過言じゃなかった。
日本列島沈没するんだ、もう死ぬんだって本気で思った。

真っ暗闇の中、懐中電灯の明かりでどん兵衛を分けあって食べたこと。

鍋でご飯を炊いたこと。

靴をはいたまま皆寄り添って眠ったこと。

小麦粉からうどんを作って食べたこと。

食糧調達のためにスーパーに並んだけど途中でお腹が痛くなってあえなく列を抜けたこと。

こんな時でも毎晩酒を飲む義父。

鍋でお湯を沸かして頭をあらったこと。
近所から井戸水を分けてもらってお風呂を沸かそうと、数時間かけてくんだのに、あまりに汚いことに気付いて入ることを断念したこと。

友達が食糧や生活用品をたくさん送ってくれたこと。

ガソリンを求める車で道路に行列ができたこと。

道路わきのあちこちで食べ物を販売する光景がみられたこと。


家族みんな無事で、被害が少なく済んだこと!


仮設住宅があちこちにできています。
球場だったり、普通の公園の一画だったり。
そして空きアパートも使われているようで、引っ越しのためにパパが検索したら空きが無いようでした。

母は各被災地で、住宅修繕のためのヘドロかきなどの仕事をしています。
かなりキツイみたいで、母の場合は有償の仕事なので、これをボランティアでやってくれている人達は本当に凄いと言っていました。

復興にはかなりの時間がかかるんでしょうね…

私にできること。
家族を守りつつできることがあればやっていきたいなって、そう思うこの頃です。
もう2ヶ月か、まだ2ヶ月なのか…

昨日は宮城県名取市のイオンモールへ行ってみました。
ベビー用品などを買いそろえるためです。
三階建ての三階は閉鎖されていたけど、専門店街も営業していたしフードコートもやっていて久しぶりに買い物を楽しんだって感じでした。
つい長くなってしまって約4時間歩きっぱなし立ちっぱなしで、足の裏は痛いわ息苦しくなるわ、つくづく普通の体じゃないんだな~と感じました

長崎ちゃんぽん食べました。
それはいいか。

名取イオンまではいつもユリアゲを通って行きます。
行きは内陸の国道を通り、渋滞含め約40分かかりました。帰りはいつもの海側へ行ってみると…
途中からは通行止め。
ただ迂回路もやはり津波の爪跡はひどく、船が多数田んぼに倒れていたり、柱だけになったコンビニがあったり。
報道でも出ていましたが、小高く作られた東部道路と言われる有料道路を内陸にまたぐと大きな被害は無かったのかなという印象でした。

夜は保育園の父母総会があり、震災当日とその後の子供たちの様子や災害時の避難場所など説明を受けました。
園児は約20名、初めは少し情緒不安定ぎみになる子がいたり、地震ごっこ遊びで先生になりきって皆を誘導する真似事をする様子が見られたそうですが最近は大分落ち着いているみたいでした。

小さいけれど続く余震に対して、保育園では子供たちの不安をあおらないよう大袈裟な反応はせず、先生方はアイコンタクトで避難指示をするか確認し、優しい口調で子供たちを誘導しているそうです。
「子供たち、とても立派ですよ安心してください
と、園長先生。
これからもどうか、子供たちを宜しくお願いします

他、この保育園では恒例の『いちご狩り』。
いつもお世話になっていた苺農家の畑が全て流されてしまったんだそうです。
幸い農家の方は全員ご無事で、なんとか畑を以前のように復活させたいと
意気込みを語っていらっしゃるようで少し安心しました。
どうか、1日も早く復旧できますように!

そして最後に、残念なお知らせがもう1つありました。
いつも保育園の行事をお手伝いしてくれていた青年君。
園長先生の弟のような存在だった方が、この度の津波により亡くなってしまったんだそうです…。
幸い遺体が見つかり、無事葬儀も済まされたそうで、皆を代表して園長先生がお線香をあげてきましたとのこと。
痛ましいです。
ご冥福をお祈り致します…。

さて、私の出産ですが、明日5月12日の検診で手術日が決まる予定です。
早ければ早速13日入院の14日出産となりそうです。
き、き、緊張~

また報告します。

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